ここに、一つ重要な問題があります。それは「使えない入れ歯」「合わない入れ歯」の存在です。
再三述べたとおり、入れ歯の機能は天然歯よりも劣っています。しかし、食事にまったく使えないというレベルで劣っているわけではありません。たいていのメニューはほとんど苦労なく食べられます。そうではない入れ歯、つまり食事全般に使えない入れ歯は、不良品です。
しかしその不良品が、世の中にはたくさん出回っています。テレビを観ていると、入れ歯安定剤のCMが頻繁に流れますが、これはしっかり安定しない不良品が多い、ということに他なりません。
不良品というレベルを通り越して、入れ歯が単なる「飾り」になっているケースもあります。
以前私は、『NHKスペシャル』を観ていて愕然としたことがあります。その日、同番組では「噛めない 話せない 笑えない入れ歯の話」(平成4年1月29日放映)と題して、入れ歯にまつわる諸問題を紹介していたのですが、一番衝撃を受けたのは老人ホームでの食事風景でした。
テーブルに食べ物が運ばれ、食事を始めようとするとき、お年寄りたちが次々と入れ歯を外していく映像が流れたのです。
食べるために作った入れ歯なのに、食事のときに外している。「使えない入れ歯」が世の中に溢れていることは、むろん知っていましたが、何十人ものお年寄りが入れ歯を外していくシーンには少なからぬショックを受けました。
お年寄りたちが入れ歯を外して食事する理由は、「痛い」「噛みづらい」「違和感がある」「不快感がある」などです。いずれにしても食事には使えないのですから、入れ歯は単なる飾りものに過ぎません。
一人暮らしをしているお年寄りの中には、食事をするのが苦痛で、一日一食という人がいるそうです。食事が苦痛なのは、入れ歯が使えないからです。
入れ歯が使えなければ、歯茎を使って食べることになります。当然、豆腐やお粥などの柔らかいものが毎日のメニューの中心になります。歯茎だけで食べられないものは、ミキサーにかけてドロドロにします。
何種類かの料理をまとめてミキサーにかけ、これを自分一人だけの食卓でゴクッと飲みこむ。歯がない、入れ歯も使えないとなれば、そんな食事が増えてくるわけです。むろんそのような食事はおいしいはずがありません。楽しくもないでしょう。
中には苦痛に感じる人もいて、苦痛を避けるために、食事の回数を減らしているのです。実に痛ましい話ですが、こうしたお年寄りもまた、健康寿命を失った人たちだと言えます。
林裕之