『いい入れ歯・悪い入れ歯』 | 咀嚼システムとは何か

前回述べたとおり、「噛む」という行為は、顎・口腔系全体の連動です。その連動は、きわめて複雑なものです。

たとえば、顎はただ上下に動くだけではありません。前後左右、斜めにも動きます。噛むときの力加減、タイミングもさまざまですし、舌の動きのバリエーションも無数にあります。それぞれの器官の動きが適切に組み合うよう、全体を統制しているのは脳ですが、ものを食べるときに脳が出す指令も、数限りなくあります。

こうした複雑な連動を、咀嚼システムといいます。歯、顎、舌、顎関節、筋肉などの連動は、「システム」と呼ぶにふさわしい複雑なものであるわけです。

咀嚼システムはまた、生まれたときから備わっているものでもありません。長い時間をかけて経験を重ね、学習し、その連系を獲得、成熟させていくものです。

私たちは、食事をするときに「どうやって噛もうか」とは考えません。「これから食べるのはステーキだから、強くたくさん噛もう」とか、「次に食べるのは豆腐だから、ごく軽く噛むだけにしよう」とは、いちいち考えない。しかし私たちは、ステーキも豆腐も、適度な強さ、適正な回数で噛むことかできます。

なぜそんなことが可能なのかというと、幼い頃から「噛む体験」を重ねてきたからです。人はみな成長するにしたがってさまざまなものを食べるようになりますが、その一つ一つはトレーニングであり、学習なのです。

これは、歩行運動に喩えればわかりやすいと思います。生まれたばかりの赤ちゃんは歩けませんが、トレーニングを重ねていくうちに歩けるようになります。

ハイハイから掴まり立ち、掴まり立ちからヨチヨチ歩きという具合に、ステップアップしていく。その過程で、「左右の足を交互に出さないと転ぶ」とか「強く地面を蹴ると、速く歩ける」といったことを無意識のうちに覚えていきます。

咀嚼もそれと同じで、脳は何かを食べるたびに学習をしていきます。「ステーキは強く噛まないと飲み込めない」とか「豆腐は弱く噛むだけで飲み込める」といったことを、ものを食べるたびに学習していくわけです。学習によって得た知識は、情報として脳に蓄積され、次の動作に反映されます。咀嚼システムは、その膨大なくり返しによって作られていくのです。

学習のプロセスは、人によって違います。歯の大きさ、顎の大きさ、歯の生えている角度なども人それぞれに違う。ですから、その人の咀嚼システムは、その人固有のものです。

また、咀嚼システムがおおよそ完成するのは、永久歯があらかた生え揃う14〜5歳頃ですが、これは正確な意味での完成ではありません。なぜなら、「噛む経験」はその後もずっと続くからです。おおよその完成を見た咀嚼システムは、さまざまな変化に対応しながら、死ぬまで適応を続けていきます。

林裕之

 

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