1973年(昭和48年)の節電とこれからの電気

↓ 東電の計画停電、今夏・冬も
https://dailynews.yahoo.co.jp/fc/economy/electric_companies/?1300759546

1973年の第一次オイルショックの時も国を挙げての節電が行われました。23時から5時までテレビ放送は自粛。NKKは昼も自粛時間帯がありました。ネオンも消えました。

23時以降、全てのテレビは使えない訳ですから、節電効果は計りやすかったのでしょう。原油の確保が目的だったので、こうした措置がとられました。

石油に関係のないトイレットペーパーの争奪戦もあり、モノ不足が社会現象となりました。高校生だった私も、母親がどこからか買い込んで来た大量のトイレットペーパーが、結局いつまでも家の中に残っていたのを覚えています。

そしてこの時の事が、原油などの電力資源を外国に依存しているわが国の危機感に目覚め、後の中東外交や国内の原発建設の転機になります。

今回の計画停電や日常生活の節電は、1970年代とは違います。夜中に節電して原油の消費を抑えるのではなく、ピーク時の電力使用量が供給出来ないための措置です。

かつて、福井県(原発が多い)に住む恩師が東京にある自販機を全て止めれば、原発一基減らせる事が出来るんですよ!とよく言っていました。

都市部の電力消費を賄うために地方に作った原発………。

節電だけではなく電気の使い方を真剣に考え、変える必要があると思います。

電気を消しても明日が明るい

私が住む渋谷のスクランブル交差点は、昼夜を問わず人、人、人で溢れかえっています。

信号が変わる度に四方八方から人が押し寄せ、誰一人ぶつかる事無く交差して行く様子は現代の東京の名所です。

そのスクランブル交差点が閑散としたのは、地震の翌日から。回りを取り囲む3つの大型ビジョンも節電のため消え、街は薄暗くなり、不安と先行きの不透明感で覆われているようでした。

しかし、土曜の夜は渋谷に人が戻って来ました。街は相変わらず薄暗いのですが、若い人で溢れていました。看板の電気を落とした飲食店も盛況です。

若い人は、電気は使いたい放題が当たり前の生活から、節電し薄暗いのが当たり前の生活への順応も早いようです。

薄暗い街に明るいエネルギーが充満しており、若さが頼もしいとつくづく感じました。

電気を消しても明日は明るい。そう確信しました。

地震酔い

『地震でもないのに揺れてる…「地震酔い」 リラックスを』

あの地震の東京の震度は”5強”でした。揺れが長く、その後の余震も多かったせいか、1週間経った今でも体がいつも揺れているような感覚が続いています。

外を歩いていても、座って仕事をしていても、夜布団に入っても地震のような揺れを感じます。自分だけかと思ったのですが、回りの人に聞いてみると、程度の差こそあれ同じように感じている人が多くいます。

余震かと思っても蛍光灯にぶら下がっているヒモが揺れていない。確かに体は揺れているのに、おかしいなぁ、変だなぁと思っていたら上記の記事を目にし、「地震酔い」だと納得しました。ただし、私の場合は小さな揺れを感じるだけで、酔うほどではないので軽症だと思います。

遠く離れた東京でも「地震酔い」を体験するのですから、被災地の皆さんはさぞお辛いでしょう。

『「避難所では周囲の人と手をさすりあう、手を握るなどの「手当て」も、効果的だという。「温かいお茶を少しずつ飲んだり、手足を伸ばしたりしてリラックスを心がけてみて」』などが対処法と記されています。

少しでもリラックス出来る日が1秒でも早く来て欲しいものです。

一刻でも早い復興を!!メガネも入れ歯も身体の一部

1995年の阪神淡路大震災後に知った事ですが、メガネと入れ歯がないことがとても不自由で困った人が大勢いたことです。

阪神淡路大震災発生時は就寝中の人が多く、メガネも入れ歯もはずしていたからです。

我が身に置き換えてみればメガネも入れ歯も必需品、身体の一部です。それがないとはさぞ不便だろうと強く印象に残りました。

今回の震災でも同様にお困りの方が大勢いると思います。

メガネや入れ歯はオーダーメイドなので、これらの問題解決にはまだまだ時間がかかってしまうと思います。

ライフラインなど優先される諸問題の一刻でも早い復興を祈るばかりです。