いまだにブラックの法則に基づいた治療法

さてそれでは、使えない入れ歯が量産されているのはなぜなのでしょうか。その理由はいくつかありますが、まず言えるのは「大学で教えている入れ歯の作り方がことが間違っている」ということです。

大学の歯学部でも、歯科技工士学校でも、間違った教育が行われています。大学の歯学部で行われている授業は、ほとんどが歯の削り方に費やされます。「齲食(ウショク:虫歯)はハトの尻形に削る」とか「削る角度は六度」などといったことばかりが教えられています。

このような治療法は、発案者のG・V・ブラックの名をとって「ブラックの法則」と呼ばれていますが、1990年、FDI(国際歯科連盟)は「ブラックの法則の完全撤回」という通達を出しています。ブラックの法則は間違っているという通達、つまり歯は極力削るべきではないという通達が、20年以上も前に出されている。しかし歯科大学では、いまだにブラックの法則に基づいた治療法を教えています。

林裕之

「8020(ハチマルニイマル)運動」の矛盾点

厚生労働省と歯科医師会が取り組んでいるのが「8020運動」です。「80」歳になっても「20」本の歯を残すために努力をしましょうと、国と歯科医師会が一緒になって国民に呼びかけているわけです。この努力とは、もちろん効果があまり期待されない、虫歯や歯周病の予防をしようということに他ならないのですが。

もちろん、20本の歯が残ってもきちんと噛めるかどうかは未知数です。たとえば上の歯が20本あって、下の歯がゼロなら、食事はできません。したがって、前歯と奥歯が、下顎と上顎にバランスよく20本残るように努力しよう、というのが8020運動の趣旨でしょう。しかしこの運動には、いくつかの矛盾が含まれています。

兵庫県歯科医師会と兵庫県保険連合会が、70歳以上のお年寄り26,538人を対象に、「8020運動と医療費の関係」を調べたことがあります。その調査でわかったのは、自前の歯が20本以上ある人は、そうでない人に比べて医療費が3割ほど安かった、ということでした(2003年4月1日「日本歯科新聞」)。

これはこれで興味深いデータですが、根本的な誤りが一つあります。それは、調査報告書の中で、自前の歯が20本以上ある人を「達成者」と呼び、そうでない人を「非達成者」と呼んでいることです。「非達成者」という呼称には、言うまでもなく否定的なニュアンスがあります。

この調査報告を目にした「非達成者」はどう思われるのでしょうか。患者さんの心理的負担をなくすのが医師として最低限の務めなのに、その逆のことをしているわけです。

それに最大の矛盾点は、結果的に入れ歯への偏見を助長していることです。自前の歯を残そうと呼びかけるのは、入れ歯を使わないようにしようと言っているのと同じです。自前の歯がすでに20本以下になっている人にとっては、困惑するほかありません。

歯科医師会は、国民に「80歳まで20本の歯を残そう」と呼びかけるより先に、歯科医や技工士に「使える入れ歯を提供しましょう」と呼びかけるべきです。

自前の歯を残そうと呼びかけるのは、事実上の敗北宣言ではないでしょうか。歯科医師会は、「私たちは使える入れ歯は作れません」と言っているに等しい。

そもそも、20本という数字からしておかしいと思います。なぜなら人間には、28本の歯があるからです。(親不知が全て生えると32本です。)したがって、歯を残そうと呼びかけるなら、「8028運動」であるべきです。日常の努力によって20本の歯をバランスよく残せるのなら、28本の歯も残せるはずです。

さらに言えば、80歳で20本の歯を残したからといって、健康寿命が延びるとは限りません。大切なのは、きちんとした咀嚼運動ができるかどうか、です。たとえ1本も歯がなくても、入れ歯できちんと噛めるのなら、健康を保てるのです。

ともあれ、歯科医師会がなすべきなのは、入れ歯とは呼べない不良品が氾濫している原因をハッキリさせ、使える入れ歯を患者さんに提供することだと私は思います。歯を失ってしまっても、正しい入れ歯でよく噛め、全身の健康を維持できる「何歳でも28本運動」こそが歯科界の使命のはずです。

林裕之

ある患者さんが19組もの入れ歯を持っていた理由

Aさんの入れ歯

健康寿命の終わりと聞いたとき、たいていの人は、寝たきり生活をしているお年寄りをイメージすると思います。介護が必要で、なおかつ回復の見込みがない人は、もちろん健康寿命が終わってしまった人です。しかし、「生きていくのが苦痛である」という点においては、寝たきり生活の人たちも、一日一食しか食べていない人たちも、同じです。

そこまでのレベルではないにしても、使えない入れ歯によって健康寿命が終わるケースは他にもあります。
たとえば、50歳ですべての歯を失った人がいたとします。足腰は丈夫、内臓も健康、だけど歯は1本もない、というケースです。

 もしもその人の入れ歯が不良品だったら、どうなるでしょうか。当然、食事をするときには入れ歯を外さなければなりません。歯茎だけを使って食べることになる。したがって、外食はまずできなくなります。

 友達に「旅行に行こう」と誘われても、「入れ歯を外して食べている姿を見せたくない」という心理が働くはずです。旅館の通常メニューは食べられませんから、事前に「食事はミキサーにかけて出してください」と注文しておく必要があります。そうまでして旅行に行きたくないと思うのが、人間の当たり前の心理でしょう。

 つまり、歯を失い、手もとにある入れ歯が使えないとなると、足腰が丈夫でも、内臓が健康でも、自由に出歩けなくなってしまう。広い意味では、これも健康寿命の終わりです。

「使えない入れ歯なら、また新しく作り直せばいい」

 そう思う人もいるでしょう。しかし使える入れ歯を手に入れるのは、簡単ではありません。

 以前、私の患者さんに、19組の総入れ歯を持っている人がいました。19回も入れ歯を作り直したけれど、どれもこれも使えず、わざわざ飛行機に乗って私たちの歯科医院を訪ねてきたのです。

19組の入れ歯は、同じ病院で作ったのではなく、いくつかの歯科医院で作ったということでした。その人は、食事に使える入れ歯を求めて歯科医院を転々とし、それでも手に入れられなかったのです。

19組も入れ歯を持っている人はさすがに稀ですが、2つ3つ持っている人ならザラです。新しい入れ歯を作りたいけれど、経済的な余裕がなくて我慢している人もたくさんいます。前回までに紹介した老人ホームのお年寄りのみなさんも、おそらく何度か作り直したのでしょう。しかしそれでも使える入れ歯が手に入らす、仕方なく「歯茎で食べる生活」を始めたのだと思います。

入れ歯が合わなくて困っている人は、大袈裟ではなく、日本中に数えきれないほどいます。「入れ歯=合わないもの」というイメージは、歯が一本も抜けていない人たちでも持っているのではないでしょうか。入れ歯への偏見が根強いのは、使えない入れ歯が多い、ということも多分に影響しているはずです。

林裕之

入れ歯の不良品が多すぎる

ここに、一つ重要な問題があります。それは「使えない入れ歯」「合わない入れ歯」の存在です。

再三述べたとおり、入れ歯の機能は天然歯よりも劣っています。しかし、食事にまったく使えないというレベルで劣っているわけではありません。たいていのメニューはほとんど苦労なく食べられます。そうではない入れ歯、つまり食事全般に使えない入れ歯は、不良品です。

 しかしその不良品が、世の中にはたくさん出回っています。テレビを観ていると、入れ歯安定剤のCMが頻繁に流れますが、これはしっかり安定しない不良品が多い、ということに他なりません。

 不良品というレベルを通り越して、入れ歯が単なる「飾り」になっているケースもあります。

 以前私は、『NHKスペシャル』を観ていて愕然としたことがあります。その日、同番組では「噛めない 話せない 笑えない入れ歯の話」(平成4年1月29日放映)と題して、入れ歯にまつわる諸問題を紹介していたのですが、一番衝撃を受けたのは老人ホームでの食事風景でした。

テーブルに食べ物が運ばれ、食事を始めようとするとき、お年寄りたちが次々と入れ歯を外していく映像が流れたのです。

食べるために作った入れ歯なのに、食事のときに外している。「使えない入れ歯」が世の中に溢れていることは、むろん知っていましたが、何十人ものお年寄りが入れ歯を外していくシーンには少なからぬショックを受けました。

お年寄りたちが入れ歯を外して食事する理由は、「痛い」「噛みづらい」「違和感がある」「不快感がある」などです。いずれにしても食事には使えないのですから、入れ歯は単なる飾りものに過ぎません。

 一人暮らしをしているお年寄りの中には、食事をするのが苦痛で、一日一食という人がいるそうです。食事が苦痛なのは、入れ歯が使えないからです。

入れ歯が使えなければ、歯茎を使って食べることになります。当然、豆腐やお粥などの柔らかいものが毎日のメニューの中心になります。歯茎だけで食べられないものは、ミキサーにかけてドロドロにします。

何種類かの料理をまとめてミキサーにかけ、これを自分一人だけの食卓でゴクッと飲みこむ。歯がない、入れ歯も使えないとなれば、そんな食事が増えてくるわけです。むろんそのような食事はおいしいはずがありません。楽しくもないでしょう。

中には苦痛に感じる人もいて、苦痛を避けるために、食事の回数を減らしているのです。実に痛ましい話ですが、こうしたお年寄りもまた、健康寿命を失った人たちだと言えます。

林裕之

入れ歯は義足と同じもの


入れ歯の噛み合わせjpg

「入れ歯は不気味だから嫌」 そんなことを言う人もいます。キモチ悪いものだから使いたくないというわけです。たしかに口から取り出した入れ歯は、見ようによっては不気味と言えるかもしれません。しかし、「不気味だから嫌だ」と言う人は、歯が失われることを軽く考えすぎています。

歯を失うのは、足を失うのと同じくらい重い事実です。歯も足も、失われてしまえば再生しませんから、義足と入れ歯は本質的には同じものなのです。

入れ歯を嫌がる患者さんに接したとき、私はよく「入れ歯は義足と同じものですよ」と言います。足を失ったら、義足を入れるしかありません。しかし、義足を入れたからといって、すぐに歩けるようにはならない。義足で歩くには、そのためのトレーニングが必要です。

 トレーニングを始めた当初は、足と義足が接しているところに痛みが出ます。足と義足が擦れて炎症反応が起こり、血が滲む。その痛みに耐えながらトレーニングを続けていくと、やがて足と義足が接しているところの皮が厚くなり、痛みを感じないで歩けるようになります。けれども、以前と全く同じようには歩けません。走ることもできません。

歯を失ったときも、これと同じです。歯が失われたら入れ歯で補うしかないし、入れ歯を使いこなせるようになるまでには、多かれ少なかれ苦労があります。血が出るようなことはありませんが、違和感を克服するまでは、我慢して使いつづけなければならない。入れ歯に慣れ、うまく使えるようになっても、自分の歯で食べていた頃に戻れるわけではありません。歯に関わる機能はみな少しずつ低下しますから、何かしらの不自由はつきまといます。

歯を失うというのは、そういうことです。ですから、何か不自由があったときは、それを「当たり前のこと」として受け入れなければなりません。

現在私は部分入れ歯を使っているのですが、以前、入れ歯にガムを絡ませてしまったことがあります。入れ歯にべっとり絡みついたガムを剥ぎ取るのは、かなりの手間です。しかし、それを「当たり前のこと」として受け止めていれば、ストレスはありません。「絡んだら剥ぎ取ればいい」と、またガムを噛むことができます。

そのうち、絡ませない噛み方がだんだんと身についてきます。絡みやすいガムの銘柄もわかってきます。結果、ガムを絡ませることはほとんどなくなる。

入れ歯を天然歯と同じものだと考えていたら、こうはいかないはずです。ガムを絡ませたらイライラするでしょうし、入れ歯は嫌なものだと感じてしまうかもしれません。先ほども述べたとおり、こうしたストレスは入れ歯に慣れるまでの時間を長引かせます。場合によっては、いつまでも慣れないということも起こります。

つまり大切なのは、心の持ちようです。ここではたまたまガムを例にとりましたが、何であれ入れ歯にまつわる不自由があったときは、それをどう受けとるかで結果が大きく変わってきます。入れ歯を使いこなすには、入れ歯を受け入れる心が必要なのです。このことは、一人でも多くの人に知っていただきたいと思います。

林裕之