歯にまつわる自己防衛とは

まず知っていただきたいのは、このことです。くどいようですが、問題は口だけにとどまりません。めまいや肩こり、頭痛、手足の冷え、腰痛、膝痛、内臓疾患や精神的イライラなど、さまざまな病気が「合わない入れ歯」によって引き起こされます。命を脅かすこともありますから、「たかが入れ歯」という考えはきわめて危険です。

そして、もしも合わない入れ歯を作られてしまったら、できるだけ早い段階で作り直してください。信頼に値する歯科医を探して、新しいものを作る。「信頼できる歯医者を探して」という条件をクリアするのは簡単ではないでしょうが、健康に生きている時間を長くするためには、必要なことです。

先ほど述べたとおり、「歯医者探し」は入れ歯になる以前から、始めておくべきです。リストラや倒産が増えている昨今、「自己防衛」という言葉をよく耳にしますが、歯にまつわる自己防衛とは、文字どおり生命を守る行為です。その手間を惜しんでいれば、無用な苦しみを味わうばかりではなく、生命そのものが失われる恐れもあるのです。

「入れ歯が合わない」と訴えて来院

ある女性の患者さんが「10年前に作った入れ歯が合わない」と訴えて来院してきたことがありました。

話を伺ってみると、入れた当初から合わなかったのに、「高いお金を払って作った入れ歯だから」と、ずっと我慢して使いつづけていたとのこと。人前に出るときや食事をするときには、市販の入れ歯安定剤をべったりと塗ってはめていたそうです。

10年間も我慢していたため、症状は相当に進んでいました。上の歯茎はブヨブヨで、下の歯茎は土手がヒモのように細くなっている、という状態です。当然、歯槽骨は大きく減っていて、レントゲンを撮ってみると、下顎の歯槽骨はわずかな衝撃でも折れてしまいそうなほど薄くなっていました。この患者さんは、文字どおり「骨身を削って」不具合に耐えていたのです。

幸いにして、治療はうまくいきました。治療用の入れ歯に粘膜調整剤を裏打ちして歯茎を治療し、これと平行して咀嚼システムを改善していった結果、どうにか合う入れ歯を作ることができた。歯槽骨は大きく減っていたものの、歯茎は「入れ歯を入れられる状態」にまで回復したのです。

しかし、治療を始めるのがもう少し遅れていたら、どうなっていたかわかりません。どうやっても入れ歯は不可能、ということになった恐れは充分にあります。

歯科医には遠慮する必要はありません

「こんな状態で、お恥ずかしいのですが・・」

初めて来院した患者さんに、そんなことを言われた経験が何度かあります。症状が進んでしまったことに対して、罪悪感のようなものを持っている人がいるのです。

 そんな患者さんに対して、私はこう言います。

「恥ずかしいことはありませんよ。ここは歯医者なのですから」

症状が進んだのは患者さんのせいではありません。たまたま、です。そして私は歯医者です。羞恥心、罪悪感といったものは是非とも捨てていただきたいと思います。

歯科医には遠慮する必要はありません。気を遣っていただけるのはありがたいことですが、「こんな状態を見せるのは恥ずかしい」とか「なるべく怒られないようにしなければ」などと考える必要はないのです。歯を治したいという気持ちがあるのなら、明日にでも歯科を訪ねてほしいと思います。信頼できる歯科医がいないのなら、明日から「歯医者探し」を始めてください。

歯周病や虫歯をいつまでも放置していれば、歯槽骨が溶けてしまうことがあります。なくなった歯槽骨は元に戻りません。そして、歯槽骨がなくなると合う入れ歯を作るのがむずかしくなります。

「これ以上症状が進んでいたら、どうなっていたかわからない・・・」 そんな患者さんに出会った経験は、実際に何度もあります。

耳鳴りと噛み合わせとの因果関係

この患者さんが違和感なくものを食べられるようになったのは、初診のおよそ2年後です。最終的には入った総入れ歯になりました。歯茎の状態は、初診時とは比較にならないほど良くなっています。全身症状も大きく改善されました。

私たちのところでは、診察を始めるにあたって圧痛点を調べます。頭部、首、肩、背中を指で押していって、どこが痛いのかを調べるのです。

なぜそんなことをするのかというと、咀嚼システムに偏りがあると、咀嚼筋をはじめとする上半身の筋肉がストレスを受けるからです。総じて、圧痛点が多い人は、偏った噛み方をしている可能性が高いと言えます。この患者さんも治療を始めたときは圧痛点は多く、側頭部、後頭部、顎、肩、背中などの広い範囲に「押すと痛い場所」がありました。

 しかし治療後は、これが半減しました。顎と背中に関しては、ゼロになった。加えて、顎関節にあったクリック音、指の痛み、耳鳴りが消えました。左膝の痛みは完全には消えなかったものの、「夕方になると痛みが増す」という症状はなくなったとのこと。顎口腔系のストレスが減ったため、筋骨格系がバランスがよくなり、症状が改善されたのだと思います。

耳鳴りと噛み合わせとの因果関係は、実際のところは不明です。しかし、まともに噛めなかったときには耳鳴りがあり、きちんと噛めるようになったときにそれが消えたのですから、何かしらの関係があると考えるのが自然でしょう。

歯茎の状態と咀嚼機能が改善されたら

さて歯肉のリハビリですが、これは治療用の入れ歯によって行います。治療用の入れ歯に粘膜調整剤という薬を裏打ちし、歯茎を元に戻すのです。粘膜調整剤は2週間くらいで変質してきますから、2週間に1度のペースで通院してもらい、新しいものに取り替えます。

治療用の入れ歯は、最終的なものではありません。しかし、「使える入れ歯」でなくてはなりません。歯茎が痛んでいるからといって、口がきちんと機能できなければ、咀嚼システムが崩壊してしまうからです。

この患者さんは、上顎に大きな部分入れ歯が入っていて、下顎には何も入っていない、という状態で長く過ごしてきました。

ですから、咀嚼システムは本来あるべきものではない、歪なものになっていました。しかし、歪な咀嚼システムとはいえ、それを破壊してしまうと「望ましい咀嚼システム」はさらに遠ざかります。今ある咀嚼システムを改善していくのがベストの処置で、治療用の入れ歯はそのために必要なのです。

歯茎の状態と咀嚼機能が改善されたら、治療用の入れ歯を最終的に入れる入れ歯に置き換えます。したがって、治療用の入れ歯がきちんと機能しなければ、最終的に入れる入れ歯も機能しません。入れ歯の最終形を決める、という点においても治療用の入れ歯は絶対に必要なのです。