食物アレルギーの子、被災地からSOS

↓ 食物アレルギーの子、被災地からSOS

食物アレルギーとは、食品中のアレルギー物質(アレルゲン)を体内に取り込むことによって起こる様々な反応のこと(文末に表示しました。)で、私の娘も食物アレルギーでアトピー性皮膚炎やぜんそく発作も何度か起こしたことがありました。

食物アレルギーはそうではない人々に理解されにくい病気だったことも実感しています。ですから、ただでさえ大変な被災地での食糧事情を考えると、食物アレルギーを持つお子さんや親御さんは本当に大変だろうなぁ。と胸を痛めていました。

アレルゲンとなる代表的な食品は、食品衛生法が表示を義務づけている「特定原材料」7品目(卵、乳、小麦、ソバ、落花生、エビ、カニ)その他に表示が推奨されている18品目(あわび、いか、いくら、オレンジ、キウイフルーツ、牛肉、くるみ、さけ、さば、大豆、鶏肉、豚肉、まつたけ、もも、やまいも、りんご、ゼラチン、バナナ

この他に化学調味料や添加物がアレルギーの原因になる人もいます。

避難所などで大変重宝するインスタント食品やくだものが、アレルゲンになって食べられない人もいるのです。

食物アレルギー対応の食材の備蓄や支援物質の適切な流れを制度化して頂きたいと思います。

主な食物アレルギー症状

   * 皮膚粘膜症状
        1. 皮膚症状 : そう痒感、じんましん、血管運動性浮腫、発赤、湿疹
        2. 眼症状 : 結膜充血・浮腫、そう痒感、流涙、眼瞼浮腫
        3. 口腔咽喉頭症状 : 口腔・口唇・舌の違和感・腫張、喉頭絞扼感、喉頭浮腫、嗄声、喉の痒み・イガイガ感

 * 消化器症状
        1. 腹痛、悪心、嘔吐、下痢、血便

   * 呼吸器症状
        1. 上気道症状 : くしゃみ、鼻汁、鼻閉
        2. 下気道症状 : 呼吸困難、咳嗽、喘鳴

   * 全身性症状
        1. アナフィラキシー : 多臓器の症状
        2. アナフィラキシーショック : 頻脈、虚脱状態(ぐったり)・意識障害・血圧低下

フランス製ガイガーカウンター

ガイガーカウンター

先日尋ねた福島県いわき市ではテレビ画面にテロップで、各市町村の放射能測定値がマイクロシーベルト単位で常に流されていました。

その画面で、東京とは違う被災地域の現実を否応無しに突き付けられた思いがしました。

そして、友人歯科医は自前のガイガーカウンターを携帯してました。

原発事故で明らかになった事のひとつは、政府(東電、保安院)発表の放射能測定数値が信用出来ない事です。

日本のどこに住んでいてもそうですが、特に原発に近い地域に住んでいる人々にとって、正確な数値を元にした迅速な判断が命に直結します。
ですから信頼出来る正確な数値を一次情報として自分の目で確認することが一番重要です。

彼はフランスにいる友人から携帯型のガイガーカウンターをすぐに郵送して貰い常に携帯しています。

原発立国のフランスでは簡単にガイガーカウンターが手に入るそうです。

彼は良き歯医者さんとして地域の人々の信頼も厚いので、いざという時の正確な情報発信者になる使命もあります。

測定精度が高く安価な携帯型のガイガーカウンターを量産するべきです。

人が使っていたものと人がいない町

昨日昼を過ぎるとどっと疲れが出ました。

前日にいわき市までを往復し、様々な現実を見たその疲れだと思われ、夜は早めに寝ようと10時には布団に入って目を閉じたのですが、肉眼で見た光景が次々浮かんできました。

震災から1ヶ月以上過ぎているので、生活道路はかなり整備されていました。でも道路の脇には壊れた自動車が整然と山積みされ、そのとなりは冷蔵庫やテレビなどの電化製品の山。集められたがれきの山、壊れて手つかずのままの家。それらは、かつて人が住まい、使っていたものばかり。
無人の役場

原発にほど近い山の中の町には人が全くいない。家が点在し、工場や、ラーメン屋さんがあり、役場の桜は満開、時間は平日の午後2時。だけど人がひとりもいない。町があるのに人の気配が全くない。本当に奇妙な感じ、この光景はゴーストタウン?映画でしか見た事無い。

頻繁にすれ違うパトカーといろいろな形の自衛隊の車両。町を覆う重たい空気。この状況は広がってしまうのだろうか?そう思っていたら、今日から警戒地域が広がった。

壊れてしまったものに人の気配が残り、壊れていない町に人の気配がない。地震と津波は天災、原発事故は人災。それを見て来たのだと思いました。

 津波が壊した家

幾重もの被災が現在進行形

原発事故で進入禁止

昨日は福島県いわき市の友人を訪ねて8:00に東京を出発23:30に帰宅しました。

彼の「このルートは必ず回って来て下さい」との強い勧めに従い、北茨城市高萩から海岸線を北上~磯原~五浦~大津港~~勿来(なこそ)~小名浜港~江名~塩屋崎~四倉~久之浜~そして広野町の原発事故による侵入規制検問所までを3時間近くかけて見て来ました。

その後、いわき市まで戻り、久しぶりのご対面。彼の診療が終わるのを待って、夕食を摂りながら地元暮らすの人々の実感、実情を聞く事ができました。

2度の大地震(彼は4/11の地震は余震ではないと叫ぶように言っていました。)、津波、原発事故、風評被害、幾重もの被災が現在進行形なのだと教えられました。

被災現場に立ち、壊れた家並や、風、匂い、人っけのない街、何事も無かったような海原を目の当たりにして、色々な事が頭のなかでぐるぐる回り、まだうまく言える言葉が見つかりません。

帰途の高速道路も真っ暗、大きなサービスエリアの広い駐車場にも数台の車。月並ですが、とにかく濃い一日でした。混乱中の思いをできるだけまとめて明日以降記してみたいと思います。