具体的に歯科業界に役立つような視点での感想を書きたいと思います。
カルテは診療録であって保険点数の明細書ではない
まず、カルテそのものについて。今まで、歯科のカルテについてはほとんど語られてこなかったと思います。その一方で、昔から歯科のカルテは診療に関する保険点数の明細書にしか過ぎないと言われて来ました。実際、いやそんなことはない、と胸を張って言える歯科医はごく少数でしょう。今まさに歯科のカルテの書き方を抜本的に見直し、一般医科並みのレベルの”診療の記録”に引き上げるのが急務です。(一般医科の医師は、まともにしっかり書いている人たちが大多数です)カルテをきちんと書くことが医事紛争を招かない最も大きな要素になり得るものと思います。
カルテは誰のものか?
それは患者と医者の共有物なのでしょう。カルテをしっかり書くのは、はっきり言って時間が掛かります。しかし慣れてしまえば時間も当初よりは格段に短くなりますし、逆に、しっかり書かないと落ち着かなくなって来ます。そして、なによりの功は、治療経過や患者さんとの会話の記録等により、中身の濃い内容になり、治療による患者さんの口腔や身体状況の変遷が手に取るようにわかります。また、しっかりと今までの状況が把握出来ているので、治療法や手段の選択に迷いが少なく、治療効果も良くなります。これは歯科医側も患者さん側も共に無駄な時間や労力を使わなくて済むようになり、非常に良いことです。最近ではコンピューターでのレセプトになって来ているので、手書きのカルテは難しいと考える人がいるかも知れませんが、そんなことはありません、手書き用のカルテを別に作れば良いだけです。
「POSによる歯科診療録の書き方」 日野原重明監修 医師薬出版
を参考に是非試してみて下さい。数年後には全く違った診療スタイルになり、診療に於けるストレスも大幅に減っているでしょう。
「カルテをきちんと書けないのは、診療がきちんとしていないと言われても仕方がない。」とは上記文献の一説です。私では説得力がないかも知れませんが、あの、聖路加病院を作った日野原先生の言葉です。
インプラント治療について
とにかく第一に声を大にして言いたいのは、インプラントを打つ歯科医たちの大部分の人たちが、インプラントを打つこと自体が治療の目的になってしまっているということです。
歯科治療の目的は、顎、口腔系のストレスの軽減による顎、口腔機能の可及的円滑化及びその維持とゆるやかな衰退の管理です。(これについては、いつかどこかで詳細に表したいと思ってはいますが)わかりやすく言えば、口腔機能の速やかな回復の上で、最終補綴に至るのが筋だということです。つまり、歯科治療は口腔機能の回復が第一優先であり、インプラントというのはそれを固定化するための最終的な方法、手段のひとつでしかないということが忘れ去られているのではないでしょうか。
今回の件でも、やたらインプラント埋入に関する図付きの説明書類は多く、インプラントを打ってその生着が第一優先になってしまっており、肝心の治療開始から全補綴終了までの、いわゆる治療計画書が全く示されていません。これは、この被告に限ったことではなく、多くのインプラント治療をする人たちを含めた歯科医たちの共通する事柄です。実際に、保険治療で何か問題のあったときだけ散発的に来院する患者さんに対しては難しいとは思いますが、少なくとも、自費(インプラントを用いる場合は当然)で全顎的な治療を施す場合は、初期治療から最終補綴までの道筋の計画をしっかり立て、それを患者さんに十分に理解、納得してもらわないことには、施術側の歯科医としてもスムーズに治療して行くことは出来ないと思います。そして、本当にこのような意味合いで作成された他の歯科医の治療計画を見たことが今までの経験上ほとんどありません。
そしてもう一つの大きな問題は、治療途中では、ある程度の口腔機能の不具合は仕方がないと思われていることです。その”ある程度”の程度が高過ぎるということです。インプラントは最終補綴に用いる手段ですから、その手技を施す前に口腔機能の回復は終わっていなければなりません。つまり、テック(仮歯)にしろ治療用義歯にしろ、支障のない社会生活が送れる状況を治療途中でも保たれていなければいけません。治療の初期段階は第一優先でそれがなさなければならないのは異論はないでしょう。にも関わらず、私がその意識が明確に感じられる治療に出会ったのはほぼ皆無です。
(うがった見方をすれば、具合の良い治療用義歯なんかを入れてしまうと、「先生、これで良いです」と言われてしまうことを危惧しているのでしょうか?しかし、社会生活上、口腔に無駄な意識が向かわない状態を提供することが義歯治療で得られるのならば、インプラントを用いる場合と同じ価値があり、同じ額の費用を負担してもらっても構わないはずです。)
そして、今回の件が、治療途中の社会生活上支障のない口腔状況を保つことをおざなりにしているのを、端的に現していました。やみくもに、行き当たりばったりに手を付けて行く。その先にあるのは、どうにかインプラントが生着すれば、あとは上部構造を入れて何とかなるような曖昧な実感。
実際に原告はインプラント治療中は年単位でまともな口腔状況ではなく、私のところで装着した治療用義歯の段階で体重が4キロ以上回復したことを思えば被告の治療行為の質には明確な欠落があったのです。(原告から相談を受けたときから彼とよく食事をしたりしたのですが、彼は本当にあまり食べません、昔はそんなことありませんでした。もちろん食べられないということだったのです。よく回転寿司に行ったのですが、彼は3皿くらいしか食べません、それもやわらかい、いわしとかあなごとかです。私はそれを見て、人間というのは食べられないということにも相応に適応してしまうのだなと悲しくなったことがあります)
ですから、歯科治療とは歯を治すというよりは、歯を治すことを通して口の機能を治すということを、当たり前ですがしっかりと治療の根底に据え、今回のような全顎的に咬合崩壊があり、口腔機能に大きな障害のあるケースでは、まずは治療用補綴物を用いて最優先で口腔状況を整え、リハビリを通して咀嚼機能をメインとする口腔機能を回復しながら抜歯や根管治療、歯周処置などの初期治療を行い、社会生活を維持出来る口腔状況を保ちながらインプラントなどの最終補綴を施して行くことが、歯科医学上確立された通法であり、それをしっかりと治療開始前に患者さんに提示、説明し、納得の上治療を始めるのが必要だったのです。
昨今、インプラント治療を選択する患者さんが減って来ていると言われてます。でも、このようにまともな手続きを愚直に行うようにすることこそ、患者さんの増加をもたらす一番の早道なのではないでしょうか。もちろん、インプラントを用いた治療だけではありませんが。
最後に、どうして、インプラントをやる人たちは、上部構造を全部くっつけなければならないと思っているのでしょうか。ほとんど狂信的な気さえする程ですが。骨のないところまでわざわざ骨を作ったり、足したりしてインプラントを植え、上部構造を全部固定して、出来たと思ったら、何年もしないうちにその内の何カ所かのインプラントが危うくなり、そこだけ外すこともままならなくて、はい、やり直し。そこで患者さんがもうお金がないと言ったりすると、結局、そこだけ部分義歯を入れたりしています。
よく、「うちでは失敗したことはありません」のようなことを聞くこともありますが、その患者さんは他院に行っているだけです。林歯科には、そのような患者さんが少なからず訪れています。どうぞ、来なくなっている患者さんの追跡調査をしてみて下さい。
私がインプラントについて疑問に思っている主な事由
1) 歯根膜がなく咬合圧というか咬合時の衝撃(咀嚼時のみではなく)が直接顎骨に伝わることに対して何も言われてないこと。特に、かみしめの強い人などの区別がつけられた治療がなされていないこと。(個人的には、徹底したかみしめ対策なしには、インプラント治療は禁忌だと思います)
2) インプラントが生着し上部構造が機能するまでの、咬合回復をベースにした社会生活に支障のないレベルの口腔機能の確保がかなりの確立でなされていないこと。(「インプラント治療の途中は、よく噛めないのは仕方ありませんよ」にあぐらをかき過ぎ)
3) 高齢になり、全身状態が悪くなった時にインプラントを除去しなければならない場合の対処が困難なケースが少なくないことが予想されること。(実際に、特別養護施設で、義歯もなく、一本だけインプラントが突き出し、そこにガーゼを巻いて生活している人のケースを聞いたことがあります)
4) インプラント治療を終了しても、新たな欠損に対してインプラントを採用するならば、それはほとんどエンドレスな治療になる。また、その状況の元、老齢期になり全顎インプラント支台のリジッドな上部構造の管理は明らかに無理があること。(当然、患者さんの人生の終末の口腔環境を、負担を少なく過ごせるような良好な衰退を誘導することも歯科医療に含まれているはず)
5) インプラント手術の環境が、多くの場合、全身管理を含め劣悪なこと。(血圧も計らずに、抜歯をすることが当たり前のようになっている歯科界は、一般医から見ると冗談の様な世界で、生の顎骨をむき出しにするインプラント手術をオープンスペースで、全身管理もおろそかな状況で行われていては、早晩、インプラント手術は歯科医から医科領域に奪われるでしょう)
他にも色々ありますが、主なものとして、取り敢えず上記を挙げておきます。つまり、インプラントという治療手段の選択は、メリットもあるのでしょうが、デメリットも多くあります。歯科医療として顎、口腔系のストレスの軽減とその維持を求める時に、トータルとして、第一選択にはならないと思います。
総括
『インプラントから義歯へ』
昨今、歯科医師数が増え、歯医者暗黒の時代となって来ているのは、異論のないところでしょう。でも、私は逆にチャンスと思っています。なぜならば、淘汰されるのは、本来の歯科医療の本筋から外れたところにある人たちになるはずだからだし、私の中で、歯科医療についての答えが、ほぼまとまって来ているからです。逆に、これ程やって来て私が淘汰されるのならば、悔いはありません。私の中では、顎、口腔系のストレスの軽減という視点が根源であり、口を意識しない生活を長続きさせるために用いる治療手段としては、現時点では、義歯が最も扱いやすく、総合的にすぐれていると思います。
言うならば、良く言われている「入れ歯からインプラントへ」ではなく、その真逆の「インプラントから義歯へ」です。
我々が20年以上前、全身と咬合をメインに勉強を始めた頃には、「噛み合わせと肩こり」なんていうと気違い扱いされていましたが、先日、電車の中で、若いお姉ちゃんが「最近、肩が凝るのよ、噛み合わせが悪いのかな」なんて話しているのを聞きました。こんな時代が来るなんて隔世の感があります。それと同じように「インプラントから義歯へ」が常識になる時代が、来ると思っています。義歯は難しいと言われますが、技工を含めた義歯治療の本質をつかんでしまえば、難しくはありません。
こんなことを私のまわりの同業、歯科医師達にいつも言っては、ウザイと思われていますが、私は自分では、また、時代の先に、走り過ぎているんだと思うようにしています。たまに結構、真顔で、歯科医療について語ったりすると、きょとん、とする輩が多くて、逆に周りの歯科医師たちとのギャップに戸惑います。
例えば、8020運動についてでも、これは歯医者の「敗北宣言だ!」、つまり、歯の多く残っている人は、統計的に健康状態が良いので多くの歯を残しましょう、と言うことがベースだと思われますが、歯科医の役割は違うはずです。過程はどうであれ、結果的に自分の歯が少なくなってしまった人にでも、歯科治療の恩恵によって、統計的に自身の残存歯数による健康度の差はない、という口腔状況を歯科医としては提供しなければならないはずです。残存歯数によってこのような統計が出るのであれば、そこには人の健康に寄与する歯科医療が存在しないことになってしまうのではないでしょうか?
余談ですが、自民党の中曽根先生の朝の勉強会に講師で招かれた時もこのような話しをしました。中曽根先生は厚生委員もやっておられるらしく、最初のあいさつで8020運動という言葉が出て来たので、思わず上記のような本質の話を話してしまったので、それを言った場面では、何か、渋い表情のような気がしましたが・・・
いずれにしても、歯科医療全般のついて色々と語る場面があると、正直、きちんと論理立って、なるほど、なるほど、と話し合える人が極めて少ないのは残念です。
結論として、今回のこのブログ上で著したものが、少しでも歯科医療に関わる全てのものごとの向上につながれば良いと思っています。
最後に、ここまで様々なことをあちこちと飛びながらも書いて来ましたが、どうぞ何度も繰り返しお読み下さい。一度や二度位では、表面的にしか掴めないと思います。今回記したものは、全て事実に基づいたものです。是非、その事実の持つ、避けようのない重み、その行間にある実感的なものにまで踏み込んで下さい。
林 歯科 林 晋哉 拝
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